消去と捨てる事。

映画『Blow up』を観て、Hasselbladのカメラに憧れていた当時、フィルムが無くなり写真がデータになるなんて考えもしなかった。さらには、電話で綺麗な写真が撮れるようになるなんて。

現像なんて作業は無くなり、デジカメのデータをパソコンで編集して、クリック一つで入稿完了。翌日には印刷物が簡単に出来上がる便利な時代。しかし書籍は電子化、音楽はストリーミング、お店の販促はメールマガジンへと代わり、”物”がどんどん減って行った。そして、要らないデータは手軽にパソコンのゴミ箱に入れ消去、記録として残す必要がないメールも消去、写真も簡単に撮れる様になった反面、容易く消去する。やれやれ、便利になった反面、今度は溢れたデータの整理が日課になりつつある。

でも最近、ふと気づいた事が。フィルムの写真は、失敗も含めて捨てない事。友人からの手紙も、お店からのDMだって、データの様に簡単にはゴミ箱に捨てられない。それは撮影の労力、ライトボックスを覗いて初めて見える画像に対する感動、紙の匂い、手書きから伝わる送り手の思い。物の背景にあるそれら全てが、捨てようとした時に、脳に待ったをかけるのでは。そんな事を考えると、まだまだ自分たちの作業も捨てたもんじゃない。だって、AIが考えた売れるデザインだとか、AIが自分に勧めてくれた”物”なんて、簡単にゴミ箱に入れちゃいそうじゃないですか。やっぱり、作る人間の想いだったり、それを勧める人の想いだったり、大事にしたいじゃないですか。